気まぐれ日記 2013年12月
2013年11月はここ
12月1日(日)「今年もラストスパート・・・の風さん」
とうとう師走。朝から快晴で、ラストスパートを切るには最高の天気だ……と言っても、私の仕事は基本的に屋内なので、あまり関係ないが。
もらったラジコンヘリの操縦はなかなか難しい。すぐに急上昇させてしまい、天井に激突、当然、自然界の法則にしたがって落下。超軽量なので木っ端微塵とはいかないが、ダメージ0ではないだろう。
コツはなるべく低空で飛ばして練習することらしい。これから毎日ワン充電ずつ練習することにする。
やっと時間がとれたので、今日は気になっていることに着手した。来年1月に3つの雑誌が出る。それらの中に使用する画像データの掲載許可申請である。郵便で出すものは準備に手間がかかるので、今日はメールで済むものを処理した。
12月2日(月)「初霜か?・・・の風さん」
未明にひどい頭痛があり、痛み止めを飲まないと眠れなかった。
裏の土地でないうちの駐車場には3台分のスペースがある。すべて屋根があるが、キャメロンはカーポートに縦列で停めている。
出社のためキャメロンに乗ろうとしたら、道路側の半分が結露していた。屋根から少し内側へ霜が降りるらしい。明日からできるだけ建物側へ寄せて停めよう。
会社では月初めのルーチンがいくつかあって、それらを優先し、まだ続いているたな卸しもやった。
昼休みには、学資ローンの繰り上げ返済金額を電話で聞いた。先月は返済金の準備ができず、今月にずれ込んでいたのだ。とりあえず借金は消えるが、我が家の家計に対する私個人の負債ができた形である。
今日は1時間遅れのフレックス出社で、1時間残業したので、プラスマイナス0。
12月3日(火)「掲載許可申請の準備・・・の風さん」
連日努力したので、やっとたな卸しが終了した。しかし、ここまではお役所仕事で、これからが本当の資産管理のための確認と整理である。
夕食後、ラジコンヘリの操縦練習をした。相変わらず障害物への衝突と墜落の繰り返し。壊れてしまう前に上達しなければ……。
今夜、郵送で出す、画像データの掲載許可申請の準備をした。やはり、これだけで夜のプライベートタイムはなくなってしまった。
12月4日(水)「名古屋出張を断念・・・の風さん」
出社途中で郵便局に寄って、昨夜準備した許可申請書を投函した。
零細企業なので、何でもかんでも自分でやっている。だから儲からないのかもしれない。
今日は午後名古屋へ出張する予定だったが、会社の仕事もたまっていたので、諦めた。昨年は、母の死が原因でやめた出張だったので、今年こそ、と思っていたが、またダメだった。
出張をやめて確保した時間を使い、メモ程度だが、10日前の出張報告をやっと書き上げて、メール発信した。
帰宅して、夕食後、明日から始まる後期の講義のための準備を始めたが、疲労が出て書斎でダウン。先に体を休めることにした。最近多いパターンである。
12月5日(木)「後期の講義が始まった・・・の風さん」
今朝の3時に目が覚めたので、無理やり起きて、今日の講義の準備をした。
能率が悪く、出社時刻ギリギリまでやってしまった。
眠い。
午前中、研修所から本社へ移動して会議に出た。昨日書き上げた出張報告が役に立った。
午後からの会議がなくなったので、午後有休にしてキャメロンで本山キャンパスへ向かった。
いったん荷物を事務室に置き、ミスドでコーヒータイムにして小一時間昼寝した。
事務室に戻って講義のリハーサルをやった。事務室で借りたPCでエクセルを操作したのだ。
準備は万端だったが、講義は当てが外れた。受講生のほとんどがテキストを持っていないのだ。
前期はしつこく言って入手させたが、後期はそれをしていなかった。今からでは手遅れである。来週から工夫するしかない。
帰りに灯油と薬を買った。本当に忙しい人だ、私は。
帰宅したら、楠木誠一郎さんの新刊が届いていた。また大河ドラマ本だった。
ベスト新書『黒田官兵衛は天下を狙ったのか』である。
ということは、来年の今頃に2015年の大河ドラマ本を出せば売れる、ということだ。
吉田松陰関連である。企画ができたら、売り込めばいい。
12月6日(金)「旅行プランが決定・・・の風さん」
昨夜は大量にメールを送ったので、今日はその返信がどっさり届くだろう。
今日は午前中病院に薬をもらいに行くつもりだったが、早起きできなかったので、諦めた。
ついでにフレックスで1時間遅れ出社。
今日は、先週の愛工大八草キャンパス出張報告を書き上げた。相変わらず仕事がのろい。
フレックス退社して床屋へ行き、キャメロンに給油して帰宅した。
来週のディズニーシー往復プランをようやく決めた。4月に子供たちからもらった結婚30周年のお祝いチケットを使うときがやっと訪れたのだ。実際は、まるで余裕がないのだが、これ以上遅らせると、とんでもない時期に行くことになりそうだった(今でも、決して良いシーズンとは言えないが)。
12月7日(土)「来年の講演の準備・・・の風さん」
来年1月後半の講演の打ち合わせのため、キャメロンで出かけた。
青空が広がっていて、絶好のドライブ日和かと思ったが、セントレア空港に近い待ち合わせ場所に着いたら、突風が吹いていた。海に近いせいもあるだろう。
打ち合わせ場所は、新盆で兄夫婦が来た時、家族で夕食を摂ったレストランだった。
ランチを食べながら2時間近い打ち合わせになったが、話が尽きなかった。
今度の講演は経営者の人たちに対するもので、なかなか難しいが、定年後の私のチャレンジテーマの一つなので、やらねばならないことだった。とりあえず講演タイトルと内容がほぼ決まって安心した。
帰宅して、ワイフに一部始終を報告した。相手の方の顔の広さに感心していた。
たまっているメールを片っ端から送り、ついでにもっとたまっていた名刺整理までしてしまった。
12月8日(日)「ナノファルコンの操縦をマスター・・・の風さん」
貴重な土日だが、重いテーマになかなか手がつかない。決して逃げる気はないのだが、こうしてずるずると遅れていくのだ。もう性格としか言いようがない。
重いテーマに手が付けられなくても、遊びの誘惑にはすぐ負ける。
今日のナノファルコンの操縦訓練で初めての快挙を成し遂げた。
1充電で電池切れになるまで、激突も墜落もせずに飛行を継続させたのだ。わっはっは。
この調子で執筆に手がつけられるか、それが問題だ。
12月9日(月)「金融機関の態度に立腹・・・の風さん」
勤務先のトップと次年度(2014年4月〜)の雇用について相談して合意を得た。これで退路は断たれた。あとはやるっきゃない、ということだ。
夕方、会社の近くの高校の先生が来社し、年末の社会人講話について打ち合わせた。定番の一つ「夢はかなう」という話をするつもりだ。レジュメとプロフィールを渡したが、たいして反応はなかった。これは通算72回目の講演のたぐいとなる。
2時間半残業して帰宅したら、ワイフの機嫌が悪い。私の帰りが遅くてご機嫌ななめなのではなく、ローンの繰り上げ返済手続きをしに行ったら相手の態度が悪く、ワイフはプライドをひどく傷つけられたのだ。
具体的には、繰り上げ返済でどれだけ金銭的に得になるのか説明がなかったことと、抵当権の抹消手続きの経験のあるワイフが自分でやろうとしたら、強引に止められたことが原因である。それを聞いて、私も腹を立てた。
興奮して、その後、仕事にならなかった。
12月10日(火)「昨日の逆襲・・・の風さん」
昨日の不愉快な金融機関の担当者に、私が直接電話した。
こちらは腹を立てているが、相手にも腹を立てさせると喧嘩になるので、ぐっと我慢して穏やかに話をした。
結局、金銭的なメリットの説明は理解できなかったが、相手は自信たっぷりに主張するので、今度打ち合わせに行ったらしっかり確認することにして、話は途中でやめた。
抵当権の抹消についても、抵抗していたが、私が自分でやることを、最後はしぶしぶ承知してくれた。
帰宅して、ワイフに詳しく報告したが、あまり機嫌はなおらなかった。
最終的に決着がつくまで、スッキリすることはないだろう。
私まで再び気分が悪くなってきた。すべては私の貧乏に原因がある。
12月11日(水)「立ち直れそうもない風さんの巻」
会社の仕事がけっこう山積している。一つ二つではない。たくさんある。
女性のように同時並行で処理できないので、1日に一つか二つに集中して取り組んでいる。
そんな調子なので、昼休みの睡眠はけっこう重要だったりする。それだけ疲労しているのだ。
今日も2時間半残業して帰宅した。
ワイフは、今日、別の金融機関にローンの繰り上げ返済に行ってきてくれた。月曜日のことがあったので、ワイフは強い覚悟をもって交渉してきたようだ。
ところが、私がまだ相手の説明が不親切だと主張したので、ワイフは再び不機嫌になった。
そして、話題はこれからの生活費の話になり、立場的に圧倒的に不利な私は、過去20年以上にわたる生活費の使い込み(作家活動の穴埋め)を今後10年間で返済することを宣言することになってしまった。
私はどーんと落ち込んでしまった。深く深く。
12月12日(木)「また乱れた生活・・・の風さん」
昨夜は書斎での2時間の仮眠から無理やり起き出して、今日の非常勤講師の仕事の準備を始め、結局、そのまま朝を迎えてしまった。
今日は病院に薬をもらいに行くので、午前有休にしてあった。ゆっくり起床できる日のはずだったが、まさか徹夜同然になるとは思わなかった。
名古屋へ出かけるワイフを駅まで送ってから、病院へ向かった。
いつも混雑している病院が意外なほど空いていて、診察から薬をもらうまですいすいと進んで、9時半までに終わってしまった。これだったら、フレックス出社でも間に合った。
しかし、会社に行っても仕方ないので、市の図書館へ行き、年寄りがたむろしているソファで2時間近く仮眠した。
本社で元部下と昼食を摂りながら情報交換し、それから研修所に出社した。
そして、フレックスで速攻退社し、名古屋高速を使って、本山キャンパスへ向かった。
十分準備した講義になるはずだったが、最後にこけた。
事務室で借りたパソコンにソフトがインストールされてなかったようで、学生たちの前でやってみせることができなかったのだ。
帰りも高速や有料道路を使って、名古屋から戻ってきたワイフを駅で出迎えることができた。
依然としてワイフの機嫌はあまりよろしくない。
私もまた落ち込んで、9時過ぎに書斎でダウンした。
12月13日(金)「大ピンチ、今週のきわめつけ・・・の風さん」
昨日の無理がたたったのだろう。今朝の6時まで起きることができなかった。
それでも、出社前にほんの少しだけPCに向かった。執念というより、かすかな抵抗だった。
夏から計画していたディズニーシー旅行(パークチケットは、子供たちの私たち夫婦に対するプレゼント)が迫っているので、少しでも会社の仕事を進めておこうと、早めに家を出た。
しかし、いつも思った通りに行かないのが会社の仕事である。同僚がやってきて、一昨日届いたメールのことを話し出した。実は、忙しくて読んでいなかったメールだった。
17日までに回答を求められていた。実は、16、17日と旅行のため有休なのである。
とっさに納期変更を相手部署に求める案が頭に浮かんだ。私は会社の仕事に関しては剛腕である(笑)。強引ではない、念のため。
11時から別の会議を主催している私としては、あまり時間がなかったが、とにかく真剣に回答を検討し、同僚と打ち合わせに取り掛かった。その結果、今日中にやっつけてしまおうと決断した。
11時からの会議を終え、昼食後、同僚が回答案を作成して持ってきてくれた。見事な出来だった。
勢いづいた私は、11時からの会議の議事録や関連する作業も急ピッチで仕上げ、予定通り、午後4時にフレックス退社した。
半年に一度の歯科健診を受け(ほとんど歯石除去)、買い物を一つして、それから忘年会場となっている製作所へキャメロンで向かった。そう。今日は飲まない。大ピンチの私は、帰宅してから仕事するつもりだった。
帰宅したのは午後9時過ぎである。
早速ワイフから今後の我が家の家計の相談があった。今週はずっとこれがワイフの最大の関心事なのだ。
あらためて概算してみると、1年後から家計的に大ピンチになることが判明した。
今日は13日の金曜日だが仏滅ではない。どうせなら仏滅でもよかったのに。
12月14日(土)「文章サークルへの期待・・・の風さん」
昨年の母の死からもう1年以上、地元の文章サークルを開催していない。文章サークルに限らず、トレーニングも中断したままだし、第一に小説すら書いていない(依頼がないこともあるが)。
相互貸借で県図書の本を借りるため、地元の図書館へ行った。
手続きをしていると、サークルのメンバーがやってきた。児童文学を専門に書いている人で、私の指導など関係なく、着々と実力をつけている。
見ると、本を2冊持っている。県の児童文学賞受賞作品を掲載する「あいち読書タイム文庫」というのだそうだ。
1冊に3本収録されている。中編小説だ。もちろん彼女の作品が1本ずつ掲載されている。
立派な本なので、おめでとうと言いつつ、ありがたく頂戴した。
帰宅して、早速読み出すと、書き出しがいい。その後も確かなテクニックで展開されていて、読みごたえがある。中盤からは感動的なストーリーになっていた。
2本とも素晴らしい作品だったので、ケータイで電話して絶賛した。
年が明けたら、できるだけ早く文章サークルを再開したい。
12月15日(日)「子供たちのプレゼントをようやく使える日・・・の風さん」
討ち入り記念日の翌日は、新鷹会の忘年会だ。恒例というか定例行事というのはワクワクするものだが、それが定例でなくなってしまうと、やけに寂しい。
昨日から今日にかけて、相変わらず原稿執筆がはかどらない。何を苦しんでいるかと言うと、あるテキストをプロジェクトチームで分担して製作しているのだが、私だけ激しく出遅れているのだ。今は挽回の時期だが、約束した日までに挽回は相当に難しい。情けない。やはりボケが進行しているせいだろうか。
3足のワラジは、9月にビジネススクールを卒業したことで2足に減っている。しかも、10月の定年退職を機に、会社の兼務だった仕事は1本化している。普通ならかなり楽になっているはずだが、あまり実感がない。還暦を機に、激しく力が落ちているようだ。
そのような中、今日は午後からワイフと上京である。今年4月に子供たちからもらった結婚30周年のお祝いのパークチケットを、やっと使う日がやってきたのだ。これ以上遅くなると、寒くなるだけでなく、開園時間が短くなってもったいないからだ。
3ヶ月くらい前に、スケジュールを決めようとしたら、週末のホテルはほとんど一杯だった。それで、ハロウィーンとクリスマスの中間の時期で、しかも週末を外した旅行計画になったのだ。
しかし、まさかこんな年末近くなってもまだ超多忙というか、仕事が終わっていないとは予想もしていなかった。
とにかく、昼過ぎになり、すべてきれいさっぱり諦めて(笑)、遊びに集中する覚悟で、家を一人で出発した(ワイフとは途中で合流予定)。次女と猫は留守番である。
すべてきれいさっぱり諦めて、とは思ったが、1冊だけ専門書を持参した。
東京駅に着いて、丸の内側から外へ出ると、かなり冷え込んでいたが、イルミネーションがきれいだった。
今夜の宿は、スカイツリーがよく見える、東京ディズニーリゾートグッドネイバーホテルである。
12月16日(月)「また来たぞディズニーシー・・・の風さん」
ディズニーリゾート直行のシャトルバスは一杯で乗れなかったので、新木場駅までのホテルのバスに乗った。
朝食は向こうに着いてからだ。
順調に着いて、オフィシャルホテルにチェックインしてから、リゾートラインでディズニーシーに入った。
しかし、すぐに朝食というわけにはいかない。先ずはファストパスだ。今回は覚悟を決めてやってきたので、ワイフの希望通り、タワーオブテラーへ直行。次は、私の希望で、マンネリと言われようとも、マゼランズの予約だ。
そこまで終わってようやく朝食となったが、まともなレストランはまだ開いていない。とりあえずギョウザドッグで一時しのぎ。
覚悟を決めた今日の私は躊躇なかった。
タワーオブテラーは長女と来た時に乗って以来だったが、あっという間に終わった。
一回転するレイジングスピリッツにも乗った。しかし、どちらも偉そうなことは言えない。ほとんど目をつぶっていたので、何が起きたのか見えていなかった(笑)。
閉演前に恒例のセンターオブジアースにも乗ったので、怖いもの3つすべてクリアした。これは私にとっては快挙で、ワイフも信じられないものを見るように私を眺めていた。あははは。
恒例のビッグバンドビートが見られなかったのは残念だが、今回は仕方ないだろう。
意外とヘロヘロになることなくホテルに入った。けっこう飲んだり食ったりしていたせいだ。そして、1時間以上待ち時間があるやつはパスしたからだ。
しかし、何度来てもここは楽しい。不思議な場所だ。
子供たちに感謝。
12月17日(火)「町田の版画美術館訪問・・・の風さん」
正直言うと、昨日はめちゃくちゃ寒かった。老いの身には危険だったと思う。持ってきた電池式カイロは家内に貸してやせ我慢していたが、夕方、使い捨てカイロが売られているのを発見、即購入した。家を出る時探して見つからなかった毛糸の帽子もまた買っちまった(笑)。
それで何とか生命の危機は脱したのだが、それでも非常に寒かった。
そんな翌日の今日は今日で予定があって、のんびりしていられなかった。神奈川県町田市にある版画美術館まで行くのである。
全国大学版画展というのが開催されていて、次女の作品も出ている。それを観に行くのだ。
事前にネットで舞浜から町田までの乗り換え案内をチェックしたら、霞ヶ関から特急メトロはこね号というのに乗るのが最も便利だと分かった。それに乗るため、ぼやぼやしていられないのである。
ホテルから舞浜までシャトルバスで行き、その後、予定通りの乗り換えで、1時間18分もかけて町田に着き、さらにそこから徒歩でずいぶん歩いてやっと美術館に着いたが、森のような公園の中を抜けて行った先にあり、なかなか趣があって気に入った。
二つの企画室が使用されていて、順路通りに歩くと版画を教えている大学が北から南へ順に配置してあった。知らない大学もあった。
絵画の鑑賞は大好きなので、ついつい熱心に観て、時間がどんどん経過してしまう。
総括すると、やはり自分の好みで観てしまう。どのような技法が使われていても、絵画は、色がきれいだったり、線が美しかったり、構図が決まっていたりすると良く見える。要は、観ていて気持ちの良くなる絵画が私の好みだ。
まるで私の小説のような緻密な版画がけっこうあるが、題材がおどろおどろしいの(虫や動物などが入り乱れているやつ)は、あまり好きじゃない。しかし、私がもし美大に入っていたら、きっとこういう時間ばかりかかる絵にはまっていただろう。
次女の版画は、先日の個展などで披露した抽象画の版画バージョンで、難解過ぎると思った。
美術館のレストランで薬膳カレーというのを食べてから家路についた。
帰宅したのは午後6時ころで、なかなかハードスケジュールだったが、その分密度も濃くて、充実していたと思う。
近く作家専業になろうと思っているが、そうなると経済的に苦しくなるので、こういったのんびり旅行は難しいかも。
12月18日(水)「職場に復帰・・・の風さん」
再雇用で職場が一つになってしまったので、出社する先は研修所である。
朝から夢中で仕事した。先ず、来年1月9日の慶應大学の工場見学、質疑応答のための準備である。
続けて、資産管理の打ち合わせ。私が開催しているものだ。
昼食も研修所で摂ることが圧倒的に増えた。
午後は、その資産管理の仕事の具体的なアクションである。
今夜は、自宅は留守で、午後7時過ぎに私宛ての代引きの郵便物が届くことになっているので、急いで帰宅した。
その午後7時ちょうどに家に着き、玄関で靴を脱いでいるときに、郵便屋が来た。
危なかった。
郵便受けには書籍の入った封筒があって、開封したら楠木さんの新刊だった。
講談社火の鳥伝記文庫『天下人の軍師 黒田官兵衛』である。
わー、また大河ドラマ本だ。逞しい商魂に脱帽。ちなみにドラマの主人公は岡田准一らしい。
視聴率が欲しくて、売れっ子が多用されるわけだ。
いっそドラマのタイトルも「岡田准一」にしたらいい。
明日の非常勤講義のため、学生に提供するエクセルデータと課題レポートを準備した。
しかし、相変わらずテキスト執筆(非常勤講義とは無関係)がはかどらない。やばいぞ。
12月19日(木)「うれしい贈り物・・・の風さん」
昨日に続いて、午前中は資産管理の仕事。
昼食後、午後有休にして本山キャンパスへキャメロンで向かった。
いったん荷物を講師控室に置いて、地下鉄で名古屋駅まで買い物に往復した。
約1時間で戻り、講義の準備をした。
今日は配布資料もすべてUSBメモリに入れて、学生たちのパソコンにそのままコピーしてもらった。
今日の講義はスムーズに行った。
かなり分かりやすく説明したつもりだったが、それでもエクセルを駆使するのは、学生たちには重荷らしい。
しかし、大学院生なのだから、頑張ってもらいたい。
雨の中、家路についた。
帰宅すると、うれしいものが届いていた。
秋田県庁の後輩からお歳暮と称して「雪乃茅舎」である! 申し訳ない気分だが、うれしさは最高だった。来年1月の講演にも来てくれるそうなので、たっぷり楽しんでもらおう。
もう一つ、東北大学の流体科学研究所の同窓会報が届いたのだが、中に、当時の助手(その後、八戸高専の教授)の人の文章が掲載されていて、私のことを歴史小説家と紹介してくれていた。ありがたいことで、うれしかった。今度何かお礼に送りたいと思った。
テキスト執筆は遅れに遅れているので、明日は突発有休にすることにした。今週はウィークデー5日のうち3.5日有休である。
12月20日(金)「東大方式しかない・・・の風さん」
テキストの挽回提出は、実は今日が締め切りだが、絶対無理。じゃあ、完成寸前まで行ったところで、途中原稿を送って、完成原稿は週明けにしようか。とも思ったが、どうにも情けない気がしてきたので、3日かけて週明けに挽回部分の完成原稿を出すことにした。とは言っても、3日かけてもできる気がしない。それだけゴールは遠い。
うじうじと迷っているときに、会社から電話がかかってきた。
何ごとかと思いきや、年明けに工場見学と質疑応答のお世話をする慶應大学から、フラワーアレンジメントが届いたという。
私宛てだったが、研修所に飾ってもらうことにした。
さて原稿執筆である。どうやって完成させるか。自分のいつものやり方ではゴールにたどり着けないのは明らかだった。
そこで決意した。こうなったら、東大方式しかない(私が勝手に命名したやり方で、こんな名前は存在しない)。先頭から完成させながらやるのではなく、3日あるので3段階に分け、毎日完成度を上げていく。とにかく原稿の最後まで3回到達する。
そうなると、全体で15ブロックある原稿を、1ブロック当たり、どれだけ時間をかけるか、単純計算で決まる。
ロスタイムが当然あるだろうから、それも加味すると、だいたい30分ぐらいしかなかった(通常の私のやり方では、1ブロックを2時間も3時間もかけてしまう。それで、途中で挫折してしまうのだ)。
iPhone5でタイマーをセットした。30分経過したら、たとえ途中でもまた調子が出でていても、次のブロックへ進むのだ。
これを3日続ければ、少なくとも最低限の原稿がどきると思った。
強引に今日の分を終えた。初日から徹夜でないのがうれしい。
早寝して明日も頑張るぞと思いつつ階下へ降りたら、ワイフから「一杯飲まない?」と誘われた。
断れないのが前向きの風さんのよいところ(笑)。
底に残っていたローヤルのボトルが空になった。
12月21日(土)「テキスト作りの先にあるものの巻」
ストレス発散のため、途中でLINEゲームをやる時以外は、ひたすらタイマーとの勝負で執筆に全力を注いだ。
しっかり調べながら書きたい衝動にかられるが、そんなことをしている余裕はなかった。頭の中から出てくる知識と知見とハッタリで、とりあえず文章を書き続けるのだ。
あとから入れる図表のことなども、まったく考えている余裕はなかった。つらい。とにかくつらい。私の執筆スタイルではない。が、止むを得ないのである。
とはいえ今日は、執筆をしながら、すごい収穫があった。
なるべく最近の話題で、普遍的な内容を書きたいと思って書いているのだが、何となくオリジナルっぽくなってきたのだ。どういう意味かというと、勤務先の話題をほとんど入れることなく文章ができていくからだ。モノづくりに対する考え方というか思想は、多分に私の会社生活というか経験から生まれたものだ。しかし、その根拠や理由を必ずしも勤務先の事例で説明しなくてもいけそうだと思えてきたのだ。
私がよく口走っている「メーカーにとってモノづくりは経営そのもの」という表現は、なかなか奥深いものだ。講演などで平気で喋っていてこれまで熟考したことがなかったので、ラフな書き方をしながらよくよく考えてみると、なかなかどうしてどうして、これは書けるし書く価値があるという実感がしてきたのだ。オリジナルな内容になりそうな予感もしてきた。
今回のテキストの中におさめるためには、どうしてもページ数の限界がある。しかし、分量を増やしてでも書きたい内容なので、そうするためには一冊の本にしなければならないし、できそうだ。そう思ったら、急にモチベーションが高くなってきた。
執筆の調子も上がってきた。
今夜も徹夜を回避できた。
12月22日(日)「東大方式のお蔭・・・の風さん」
今日は冬至である。1年で最も昼が短い日。これから少しずつ日は長くなるが、寒さはしばらく厳しくなっていく。
還暦を迎え、会社の定年退職になった私には、今年は人生の冬至に近い気がしていた。
加えて母の死から約1年である。気分的には落ち込んでいた。
東大方式を2日間続けたお蔭で、テキスト執筆は先が見えてきた。
しかし今日は、相互貸借を申請した本を受け取りに図書館へ行かねばならない。
陰気な、今にも何か降ってきそうな空の下、キャメロンで図書館へ向かった。
これはテキストとは別の遅れているある原稿のために必要な資料だった。
午後5時にはかなり暗くなっていた。
仮に人生の冬至があったとして、その先はどうなるのだろう。少しずつ日は長くなっていくのに、冬の真っただ中で終わってしまうのか。それとも春の訪れを感じるような何かにまで到達できるのか。いや、そうでありたい。そうであるべきだ。
午前零時過ぎに、何とか3度目の原稿の末尾までたどり着いて、今夜中に送信できる気になった。
こうなると、気分屋は強い。スマホのタイマーをセットしながら、どんどん書いていく。
ワイフも猫もそんな私を疑いの目で見ている。
午前1時58分にテキスト原稿を送信できた。
12月23日(月)「自信をもって行動・・・の風さん」
遅れていた原稿を、自分のスタイルではないが、とにもかくにも形を作って送信できたことで、何となく自信がつくから不思議だ。
今日も会社は忙しかったが、力強くこなしていけた。
部門費管理の見える化という仕事も指示されているのだが、時間のない中で、今日も少しだけだが前進させることができた。
先月の出張案件で、簡単な出張報告書は書いていたが、皆の前で報告できる資料はできていなかった。それも今日、てきぱきと仕上げることができた。
毎日、ボケを自覚するような出来事ばかり起きている。気持ちはへこむし、気分は滅入るばかりである。
そのような状況でも、昨日から今日にかけて、まがりなりにも仕事をした気になれたのはうれしい。
今日は、また発注した名刺を研修所まで届けてもらった。筆名と本名並記の名刺は、またデザインを変えた。第二の人生へ向けて、自分の生き方が決まっていくにつれて、この名刺もデザインが変わっていくのだ。
少し残業して帰宅したら、秋田の友人から糠漬けが送られてきていた。みんなからよくしてもらって、申し訳ない気分である。こうなったら、年明けの秋田での講演は、120%くらいの出来にしなければならないな。よし、がんばるぞ。
12月24日(火)「姿三四郎物語・・・の風さん」
気まぐれ日記に書くことはほとんどないが、実は、近隣諸国の動静に、非常に関心がある。
政治的な発言は、場合によっては自分で自分を不利な状況に追い込んでしまうことがある。
一人でも多くの読者を必要とする私は、発言を慎重にしなければならない。
しかし、昨今の近隣諸国のニュースは、黙っておれない何かがある。
12日の北朝鮮での張成沢氏の処刑は、独裁者の究極の到達点を感じる。お山の大将(裸の王様)になってしまった人間の狂気である。
15日の中国の月ロケットの月面着陸と地下探査計画は、あからさまな軍事行動だが、アメリカですらストレートに批判できない。世界の常識は「力の論理、金の論理」なのだ。
今日、日本は南スーダンで展開している韓国軍に銃弾を支援した。すると、韓国は日本の行動を、軍国主義化を正当化するために政治利用したという。何でも政治利用しないと自分の立場を維持できない国だから、他国の行動もすぐ政治利用に見えるのだ。
それにしても日本の国力低下の危機は深刻だ。金も力もない国は、世界の中で立場が弱い。世界に稀有な道徳心や正義を胸に秘めていても、世界はまだまだ弱肉強食なのだ。
古い私は、すぐかつてのヒーロー「姿三四郎」などを思い出してしまう。本当は強くても技を使ってはいけない、まして喧嘩などしたら講道館から破門である。ところが、三四郎は弱い者いじめをしている現場に遭遇する。助けたいが、力を出してはいけない。口で注意するだけである。ならず者は馬鹿にしてかかる。三四郎を痛めつける。そして、弱い者(物語ではたいてい美しい女性だ)に対して、乱暴狼藉を働こうとする。
そして、ついに我慢の限界をこえた三四郎は、ならず者どもを得意の柔術で投げ飛ばす……。
しかし、講道館の先生から叱責されてしまう。
世界の実態はこうだ。弱い者いじめをしていると、強面(こわもて)の警察官がやってくる。すると、ならず者はしぶしぶ立ち去る。
あるいは、刀や鉄砲を持った義賊もどきがやってくる。すると、これでもならず者はしぶしぶ立ち去る。
日本は姿三四郎に似ている。
今日の午後、研修所に元部下が、奥さんと一緒に生後2ヶ月の赤ん坊を連れてきた。ムリはしないようにと言ってあったのだが、どうしても可愛い赤ん坊を見せたかったのだ。確かに可愛かった。きりりと整った顔立ち。イケメンになりそうである。
帰宅したら、AIU(秋田国際教養大学)から拙著を図書館に収蔵したという手紙が学長名で届いていた。
研修所の仕事としてAIUとのコラボレーションを検討しようとしている。私にも検討の指示が出たばかりだ。また秋田へ出張できるかもしれない。
12月25日(水)「今年最後の無茶・・・の風さん」
午前3時にリビングのソファで目覚め、それから今日の社会人講話の最後の準備をした。研修所のすぐ近くの高校の2年生、約80人に対して講演するのである。元ネタは、ここ数年、愛知淑徳大学や名古屋商科大学で学生たちにしているものである。
将来が不安な学生たちのために、自分の人生を語りながら、夢を持ち続けよう、いつかきっとかなうだろう、というメッセージを伝えるのだ。
得意ネタなので、不安は小さい。問題は、講演時間が1時間しかないことと、学生たちのレベルにうまくカスタマイズできるかということだ。
時間は、最初にスライドの枚数を思いきって減らしておいたので、うまくいった。
レベル合わせは、話しながら、問いかけながら、反応を見ることで調整するのだが、今日はショッキングなことがあった。
作家の東野圭吾氏を知っている学生がほとんどいなかったこと。それから、今年の映画で、夏に放映された「風立ちぬ」や今ヒットしているらしい「永遠の0」をほとんど知らないこと。前者は私自身を「売れない作家」として明らかにするため、後者はエンジニアである私の好きな「ゼロ戦」を話題にするため、必要な材料だったが、空回りした。
残念だが、後方に座っている先生がたや、研修所の同僚たちに受けたので満足するしかなかった。
クイズに答えてくれた学生3人に『円周率を計算した男』の文庫をプレゼントしたが、読んでくれるかなあ。
定時後は、研修所の恒例のクリスマス会だった。女性職員の子供たちも参加して、きわめてアットホームは雰囲気の中でおこなわれた。
きわめて安い参加料金ながら、料理も飲み物もたっぷりあったし、ゲームもとても楽しかった。
帰宅すると、長男が帰省していた。
今日はワイフが名古屋へ出かけていて、最寄りの駅まで迎えに行かねばならなかったが、リビングでぶっ倒れてしまい、ケータイが鳴っているのが分からなかった。
今年最後の無茶だったようだ。
12月26日(木)「他国に味方するマスコミの怪・・・の風さん」
今日はワイフが早朝出発で東京へ出かけるので、最寄りの駅まで送っていかねばならなかったが、目覚ましをかけていても、起きることができなかった。2回連続の送迎失敗である。
落ち込みながら出社した。今年の仕事納めの日だ。できるだけやり残しがないようにしたい(でも、無理だろうなと予想していた)。
今週は席の移動があって、狭苦しい場所になった。本や書類は机の上から下からもう一杯である。旧職場を引き払うために、かなり捨てた。ここも最終的にはかなり捨てることになるのだろうか。少なくとも参考図書は捨てられない。
昼休みにネットニュースを見ると、安倍首相が靖国神社を参拝したことが騒ぎになっている。中国や韓国が怒り、さらに米国が失望していると、盛んに報道している。国際問題になると、どうしてマスコミは自国を弁護せず、他国の味方になるのだろう。不思議だ。
たとえば韓国の大統領は、何とかの一つ覚えで、日本批判ばかりしている。それも慰安婦問題ばかり。日本のマスコミは、ジャーナリストらしく、韓国の大統領にインタビューを申し込んだらどうか。そして、さまざまな角度から質問するのだ。私なら真っ先にこれを聞く。広島、長崎に原爆を落とされたことをどう思うか、と。慰安婦問題を騒ぎ立てる人なら、非人道的なアメリカのやり方を批判するだろう。それが普通だ。しかし、もし、アメリカの論理と同じで、いつまでも戦争をやめない日本に戦争の愚かさを気付かせるための仕方ないやり方だった、と発言したら、それはどういう思考回路から出てくるか、だ。単に日本憎し、ではないか。とすれば、慰安婦問題に対する日本批判も、それと同じ思考回路だということにならないか。
質問し、その回答を聞くことによって、どんな考えの人物か、ある程度予想できるものだ。質問は多面的でなければならない。矛盾が多い場合は、主張していることの論拠があいまいだということだ。最後は人間性に帰着する。
昼休みにケータイで操作して、自宅へ来ているメールをチェックして不安になった。誰かが私のパソコンを操作して、じゃんじゃんメールを発信しているような症状が出ているのだ。ウィルスかもしれない。
あっという間に定時になったが、やはり仕事が終わらなかった。
帰宅してすぐパソコンをチェックし、ウィルスの疑いがあったので、パソコンのウィルスチェックをしかけた。
12月27日(金)「順調な連休初日・・・の風さん」
今日から年末年始休暇に入った。今年は10連休なので、1日得した気分(^_^)。
うれしくて7時に起床したよ。
この休暇中にやるべきことを書き出してみた。たくさんあった。どう考えても、一つの仕事に二日かけられない状況だ。こうなると、自分で命名したスピード処理方法「東大方式」しかない。とにかく最後まで、そこそこでいいから到達すること。
今日は、長女の部屋に避難させてある私の荷物の中の大物を一つ、寝室へ移動させるのが今日のミッションである。きちんと完璧にやり遂げるなら、準備や下ごしらえが必要だが、それは断念した。とにかく結果を出さなければならない。かなり無茶だったが、寝室の荷物を片寄せさせてスペースを明け、そこへ大きな荷物を運び込んだ。連休中の片付けや荷物の移動、大掃除は、今日のこれで終了である。
朝までかかったウィルスチェックで、19件のリスクが検知され対策されていた。
同時に、プロバイダーから連絡があり、私のメールは送信ブロックをかけているという。ウィルスチェックは既に終了したので、色々なソフトの更新をしたあと、メールアカウントのパスワードを変更するように指示された。それらが全部終了した後、送信ブロックを解除するとのことだった。
処置は順調に終えたが、送信ブロック解除の連絡はこなかった。
とにかく今日は予定通りの量の仕事を終えることができて満足した。
12月28日(土)「年賀状を作成、投函・・・の風さん」
プロバイダーによる送信ブロックは解除されたと思うのだが、新しいパスワードに変更してもメール送信ができない。
午後7時にプロバイダーから電話があったが、電話をとりそこねたため、今日は、解除の確認ができなかった。
今日の最大のミッションは、年賀状作成だった。
手順はだいたい決めているので、あとはやるだけ。先ず、作家用と個人用の宛先リストを印刷する。全部ではない。昨年以前の記録に基づいて作る。これが送付先の候補リストとなる。
慎重に送付先を絞り込んで、リストにマークした。今年も合計で200枚を超えた。今年からあらゆる経費が個人負担なので、ワイフに年賀状代を支払った。
次が裏面のデザインである。作家用も個人用もできるだけ統一デザインにした。コメントを手書きしなくてよいように、裏面にメッセージを忍び込ませた。これはここ数年使っている合理化手段だ。
午前零時ころに年賀状印刷が終了したので、キャメロンで郵便局まで投函しに行った。雪になりそうな小粒の雨がぱらついていた。
本当はワイフの分も完成させたかったが、できなかった。明日は日曜なので、今夜中に本局のポストに投函しておきたかった。
連休二日目も順調。
12月29日(日)「パソコンの日・・・の風さん」
朝早くプロバイダーから電話があった。親切にもこちらの状況確認の電話でもあった。
送信ブロックを解除してくれたが、メール送信できなかった。
それから設定確認と修正作業が始まったのだが、さすがプロ、こちらのパソコンの画面を見なくても正確なガイドをしてくる。それに従ってメール送信の設定し直しをしていき、短時間でメーラー機能が復旧した。感謝である。
これでスッキリしたのだが、再発防止をもっと徹底する必要があると思い、数年来の懸案だった我が家の無線LANの更新をすることにした。
残念ながら最新バージョンではないが、少なくとも現状のものよりマシな無線のルーターを持っていた。やっとそれを使うときが来たわけだ。
同時並行でワイフの年賀状の作成もすることにした。
ルーターを更新するので、セキュリティも強化した。容易に我が家のルーターを利用できないはずで、パソコンへの侵入は防げるはずだ。
ワイフの年賀状のデザインがやっと決まった。
一方、ワイフの住所録は、古〜いPCの中だったので、そいつを立ち上げてUSBメモリに保存し、書斎にある私のPCのソフトの中にコピーした。
さあ、印刷と思ったら、印刷ができないというトラブルが起きた。実はプリンターは無線LANを使っていて、新しいルーターに接続できていなかったのだ。その設定をして、ようやく印刷も開始することができた。
続けて、またトラブルが起きた。突然、ホームページビルダーが立ち上がらなくなってしまったのだ。
これには往生した。
ネットで検索すると、同じ症状にぶつかっているユーザーは多かった。最も多いのは、ホームページビルダーはそのままで、新しいOSたとえばウィンドウズ7や8に更新されたら立ち上がらないというものだった。
私のホームページビルダーもバージョンは古い。現在、執筆マシンは最強(最新でフルスペックという意味)になっているので、最初のマッチングで起きたトラブルなら同じだが、昨日までできたことが急にできなくなったのだから、これは無線LANの更新が最もくさい。
さらにネットで調べていくと、対策の中に、ネット接続を切った状態にすると立ち上がるという、何ともかったるい方法があった。
試してみたら「ビンゴ!」だった。
無線LANのセキュリティを強化したことが影響しているのだろう、技術的なことは分からないが。
ということで、今日は、パソコンの日だったが、あれこれやりながら、PC環境に小改善も加えたので、満足している。
12月30日(月)「不幸と幸福が同時に舞い込んだ日・・・の風さん」
連休に入って、天候が穏やかである。北日本は荒れているらしく、申し訳ない気分だ。
今日は、我が家の餅つきだ。電気餅つき機を使うのだが、本物が好みの状態で出来上がるので、業者はたまったもんじゃないだろう。
出来立てでランチになった。大根おろし、小豆、安倍川の3種類で食べるのだ。ぜいたくのひと言に尽きる。
それで罰が当たったのか、歯の詰め物がとれてしまった(涙)。
年末に厄介なことになった。年が明けると、スケジュールがぎっしりで、治療に行けないだけでなく、まともにモノが食べられないのは、さまざまな行事をこなしていくパワーを減退させるからだ。
あまり期待せず、いつも利用している歯科医院に電話したら、すぐ応答があっただけでなく、明日も開業しているとのことで、9時に予約できた。大晦日に歯医者に行くなんて想像もしていなかった。
今日は不幸だけでなく幸福もあった(笑)。中学の同級生からりんごとりんごジュースが送られてきたのだ。コロニーで働いているそうだが、そこで一緒に作っているものだという。貴重な品物をわざわざ僕のために、とまた申し訳ない気分になったので、電話してみたら、こちらもすぐ応答があって本人だった。
年明け早々の講演会で会えるのを楽しみにしていたが、年内にまた電話で話をすることになるとは想像もしていなかった。
今日は、相互貸借で愛知県図書館から借りている本のコピーをとった。
とりあえず連休4日目まで順調としておこう。
12月31日(火)「大晦日は息切れ・・・の風さん」
セットした目覚ましでいったん眠りから目覚めたが、ついウトウトしているうちにまた寝てしまい、次に目覚めたとき、7時54分だった!
予約してある歯科医院は勤務先の本社と同じロケーションで、通常、有料道路を使っても1時間はかかる。
ベッドから(そもそもベッドに寝ていたのが久しぶりのことで、惰眠をむさぼる恐れがあったのだが)飛び起きて、10分後にはキャメロンのハンドルを握っていた。そして、有料道路を1@@km/時でぶっ飛ばして、下道におりてからも……ぶっ飛ばそうと思っていたが、その必要はなかった。娑婆はゴーストタウンのように走っている車は稀だったのだ。
9時の予約に対して、8時40分時点で、私は受付を済ませ、ティーサーバからもらったほうじ茶を飲みながらワイフに安着メールを送っていた。
本社から深夜帰宅したときでも、こんなに短時間で移動したことはなかった。有料道路を利用したとはいえ、平均速度は60km/時をこえていたらしい。
想定外の行動となったが、10時半には帰宅していた(帰りは下道をゆっくり走ったが、空いていたので早く帰れた)。
大晦日だが、やることはたくさんある。
今日は先ず、非常勤の講義で学生に課した、課題レポートの問題に、自分で取り組むことから始めた。
予想が甘かった。これに意外と手こずって、夕方までかかってしまったのである。
連休5日目にして、仕事のペースが一気にダウンした。
晩御飯のときに一杯飲んでしまったため、また仕事が中断した。
年越し蕎麦を食べ、紅白歌合戦に出ているゴールデンボンバーの「女々しくて」を聞いてから書斎に戻って、あれこれと手をつけたが、さっぱりペースが上がらなかった。
諦めて、階下へ降り、紅白歌合戦の終盤、続けて、ゆく年くる年を観て、謹賀新年ののち、昨年の再現となった。
iPadminiで「フィールドオブドリームス」を鑑賞した。
何度見ても感動する。私も早く小説執筆にたっぷり時間をかけられるようになりたい。
年末恒例の、今年の成果を以下に書きとめておこう。
●アンソロジー
新鷹会傑作時代小説選『雪月花・江戸景色』光文社文庫(2013年6月)
に短編「天連関理府」が収録された。
●読み物、エッセイ、随想
月刊『東京人』−江戸の理系は世界水準!−(2013年2月号)
に「方程式を解き、円周率を求めた天才数学者たち」掲載。
文 Mon next 第百六号(2013年7月10日発行)
に「角倉一族から出た数学者、吉田光由」掲載。
中外日報 平成25年10月19日
に「江戸の数学と寺院の関わり」掲載。
『日本推理作家協会報』(4月号)
に「本当に仕事しているの?」掲載。
●講演、トークなど(本名含む)
名古屋大学グリーンモビリティ連携研究センター 第9回次世代自動車公開シンポジウムで
「グリーンモビリティやエコファクトリーへつながった製品技術・生産技術開発とそのマネジメント」(2月)
精密工学会 成形プラスチック歯車研究専門委員会 第110回研究会特別講演で「江戸時代の天文学、暦、時計」(3月)
愛知県技術士会 平成25年度定時総会で特別講演「江戸の天才数学者 和算発展の導火線に火を付けた吉田光由」(4月)
(株)デンソー技研センター主催 先輩講話で
「一生かければ何でもできる −原嶋の社外講演から何を感じていただけるでしょうか?−」(7月)
日本経営近代化協会(SAM)8月例会で講演「和算家、小野友五郎の生涯から見た“幕末・明治維新”」(8月)
愛知淑徳大学キャリアデザイン講義で「一生かければ何でもできる ―私の履歴書―」(8月)
KEIO University - ETH:Joint MBA-Seminarで
Jikigataken "Product Technology Development & Production Engineering
Development" and its Management(9月)
第49回技術士CPDミニ講座で講演「江戸の天才数学者-世界を驚かせた和算家たち-」(9月)
第50回鉄道サイバネ・シンポジウムで特別講演「江戸の天才数学者 小野友五郎 -日本の近代化への貢献-」(11月)
社会人講話 大府東高校で「一生かければ何でもできる ―私の履歴書―」(12月)
2014年1月はここ
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